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Ayurveda more!のプロフィール

 

名前:ゆき(セラピスト)

みずがめ座 O型

アーユルヴェーダセラピスト
セラピストトレーナー
ヨガTTアーユルヴェーダ講師
本場アーユルヴェーダドクターのセミナー・コンサル通訳/翻訳 etc.

アーユルヴェーダ以外では
国内外のリトリートオーガナイズ、
国内外のドクターやホリスティック業界で活躍する方々のPRインタビュー etc.

夢は居住型のアーユルヴェーダリトリートアパートを運営すること。

日本人が数カ月~年単位の時間をかけてゆっくり自分の心身と向き合い、
仕事をつづけながらでも浄化とリフレッシュ、再スタートを体験できる。
そんな【住×食×健×癒】を立体的にサポートする環境を作りたいです。

日本の土地や人、食の良さを活かすことはもちろん、
本場からもアーユルヴェーダドクターを受け入れて、現地の風を感じられるアーユルヴェーダセラピーを提供したい。
そして呼び寄せる現地のドクターやセラピスト達にも、日本で新鮮な体験をしてほしい。

セラピー、住環境、食事、ヨガ、PR、スポンサーシップで一緒に夢を叶えてくれる仲間募集中!

ライフストーリー

子ども時代のキーワード:
トトロ・ドレミファ・タカノフルーツ


出身地:トトロの森のモデルになった、低くなだらかな山のふもとのまち。
高校生まで住んでいました。

小さい頃から音楽が身近にあって、曲を聴くとすべてのパートがドレミファに変換されて聴こえてくる特技あり。
楽譜は読めないけど、この特技のおかげで音楽仲間が出来て、大人になった今でも仲間たちと青春が続いているのは幸せなこと。

中学は美術部というかマンガ部というか。
高校時代はアンサンブル(吹奏楽)部。トランペットと指揮者でした。

高3の秋、とある大学の学園祭に遊びに行って、ちょうどやってたカラオケ大会に参加したらなんと優勝。笑
副賞に高級なタカノフルーツパーラーの食事券をもらって、この大学はいい学校だと盲信。
一浪を経て入学しました。

ちなみに歌ったのは鬼束ちひろの「月光」

学生時代のキーワード:
フィリピン・デング熱・モンゴル・
ホスピタリティ

海外経験に憧れがあって、21歳の時にフィリピン国立大学の福祉・地域開発学部に1年間留学。

英語で授業受けられると聞いていたのに、いざ渡航してみたら当時のフィリピンが「反米国化」運動の最中で授業がまさかのオールフィリピン語。

ぜんぜん授業が分からず
フィーリングで課題やって、
徹夜で論文書いて気晴らしにクラブでオール。
寝不足で体調崩し、デング熱で入院。
その合間に大失恋をして、ショックで髪の毛がごっそり抜けた。
ほんとうに、学業でいっさい成果を出さない割にめまぐるしい1年だった。笑

*ちなみに、学生寮の家賃は2800円。現地の学生に心配される安さとぼろさ。
扇風機を持ち込んだ場合の電気代は別途300円だったかな?


そして学生時代のテーマでもあった「開発」「福祉」「ウェルネス」的な視野を育てるきっかけをくれたのは、意外にもモンゴル

大学1年生の夏に初めて行ったモンゴルにハマってしまい、
毎年行ける理由を探して卒論研究をモンゴルに設定。

夏休み・冬休みを利用して首都ウランバートルの孤児院(国営児童養護施設)を訪れ、現地NGOが主催するボランティア&フィールドワークのキャンプに参加。
足かけ4年間の取材を通して、孤児を取り巻く環境や彼らの進路などを追いかけました。

取材と言っても、対象は小さい子どもたちや思春期の10代の若者たち。
彼らを戸惑わせないように、基本的には一緒にのんびり時間を過ごして、遊び、話し、観察するだけ。

それでも、時間を重ねるごと、会う回数が増えるごとに
その子どもたちは私にとって心から大切な、守るべき存在に。

家族以外の誰かのことを、『一生かけて見守りたい、支えたい、幸せでいてほしい』と心から願ったのは、後にも先にもこの孤児院の子どもたちだけ。

でもこの子たちへ抱いた感情をきっかけに、
世の中の人々が幸せで健やかであるようにと願い、そのために行動できるようになった。

私の未熟な精神に、愛情とホスピタリティの芽を出させてくれた彼らの存在に、とっても感謝しています。

最後のモンゴル訪問から15年以上経った今、
連絡をとり合っている「元・子ども」は、たった一人。

私の心に優しさを思い出させてくれる、かけがえのない大切な友人。

モンゴル夏の滞在は草原でした、昼30℃、夜10℃!
うすら映って見えるのは、大切な友人、ハンダイクチェ。

社会人のキーワード:ポンコツ

卒業後は船会社に就職し、人事、総務、秘書など経験。
社会人になって気づいたことは、これまで『機転が利く、臨機応変』と思っていた自分は、事務仕事をしているとただの『病的に注意散漫な人』だったということ orz

細かなチェック作業が苦手で、ミスを連発して周りに迷惑をかけ続ける。
どうして自分はこんなに出来ないんだろう、頭が悪いんだろう、頭の中が散らかってるんだろう・・・とだんだんストレス状態に。

学生時代、気ままにやりたいこと、得意なことだけをやってきた私が
初めて自分ののスペックを理解して大混乱した時代。

アーユルヴェーダとの出会い:空耳

社会人5年目繁忙期、心身のバランスを崩す。

心が半分壊れたような、
『楽しい』『嬉しい』などの感情が分からなくなってしまい
視界から色が薄れて、灰色の世界で過ごすように。

会社にいる間は気が張ってそれなりに楽しく、元気。
でも会社を一歩出ると辛くてつらくて、
通勤電車の中では常に涙が止まらない時期が何か月も続く。

そんなある日、電車の中で泣いていると突然『アーユルヴェーダいいんじゃない!?』という謎の空耳が頭の中に響いた。

空耳はやばいなと思ったけど、
とりいそぎ『アーユルヴェーダ』を検索し、週末にアーユルヴェーダの勉強ができる学校に入学。

このころ、自分で自分のことを半分うつ状態だと思っていた。

でも、心療内科やセラピーなど「受け身」な治療を選ばずに、
あえて空耳に従ってアーユルヴェーダを「学ぶ」ことを選んだ。

それは、自力で健康を取り戻す経験をしたかったから。

今の状態を抜け出すには、自分の生活習慣、仕事の仕方、思考パターンをただす必要があると直感的に思ったから。

 

そこから1年強、週末に集中的にアーユルヴェーダを学び、
トリートメントも受け、生活改善をした結果、自分も家族もびっくりするほど心身ともに元気に回復!

やっと朝日が昇ってきたみたいだった!

アーユルヴェーダを学ぶ中で気づいたことがあった。
それは、「私の機転がきくところ、注意散漫なところ、どちらも個性でしかない」ということ。

どんな人も、得意なこと、苦手なことはあって

それは色んな特徴(個性)のウラオモテであり、

その特徴の「ちょうどよいバランス」を保てば自分らしく魅力的。

そんなことを知って、社会生活を送ることが少し楽になった。
そして人に迷惑をかけることが前ほど気にならなくなった。笑

その後も同じ会社に勤めたのち、転職を経て、計9年の会社員生活に幕引き。

仕事はできなかったけど、船会社はおおらかで良い業界でした!

スリランカへの旅とセラピスト転身

退職後はフリーターになってスリランカに1カ月滞在。

この間、スリランカ人や欧米からの長期旅行者のゆったりした感性に触れながら

仕事ファーストではない生き方

収入とは別の、人生の豊かさ

そういった価値観をもっと自分のなかに持ちたいと思うようになった。

会社員のころには、苦手なタスクをこなすことに必死で求めることさえしなかった、精神的な豊かさ、自分軸のある生き方

そういう生き方にシフトしたいと思う、きっかけになった旅。


スリランカの緑、空、雲、すべて濃くてエネルギッシュ。この時の滞在では、スリランカの大地にエネルギー負けして解放感より戸惑いを感じてました。

その後、縁あってスリランカゆかりのアーユルヴェーダサロンでセラピストとしてのキャリアを開始。

出会う方一人ひとりが「自分らしく、力強く幸せな生き方」を叶えるために、
私が得意なことでサポートする働き方を探求。

得意なこと、というのは例えば「直感力」「素質を見抜く」「根本原因を見抜く」「言語化する」「最善の解決策を見つける」「解決のための行動を起こさせる」といったこと。

この探求は今もずっと継続中。

再度、転機になったスリランカに長期滞在

2020年春、再びスリランカに長期滞在し、念願のパンチャカルマ(アーユルヴェーダの浄化療法)を受ける。

2週間の入院を通し、患者としてアーユルヴェーディックな食・住環境とホスピタリティ溢れるドクター・セラピストに囲まれ、アーユルヴェーダの自然と調和する優しさや力強さ、リトリートのもたらす癒しの大きさを心底実感。

もっとたくさんの日本人にアーユルヴェーダの素晴らしさを、非日常・日常ともに体験してほしいという気持ちから、活動拡大のためAyurveda More!を開始。